嘘・筒井康隆全集より

「僕はセンスが良いからね。(何 とか(ぉ だってセンスよく使ってみせるよ(何」と言った瞬間、聡くんの怨念が突如現れ、大祐くんの頭を噛み砕いて脳漿をダラダラ口から垂らして消えた。

――「芸人殺しの空手家大集合」より引用



彼さて、まず最初に考えねばならないことは、(何 (ぉ に含まれる効果である。
使い方としては接尾語のように、文章の最後に挿入されることがほとんどだ。
よって、(何 (ぉ はその文章を読み手が読み終わってから見ることによって真価を発揮するものであると見て間違いない。
また、(何 や(ぉ は比較的不可解であったり、隙のある文章の語尾につけられていることが多い。
ここまで来れば皆さんもお分かりのように、これはツッコミ&ボケと同じ形式なのである。
ボケである前置き的文章ののちに「おいおい、俺は何やってるんだよ〜」という、自分への戒め的な意味で用いられているのだ。
逆説的な方法ではあるが、皆さんには他に意味を見出す事が出来るであろうか? いや、無いだろうと私は確信する。
(何 (ぉ は自己ツッコミ以外の何物でもないのだ。
((何 は自分の発言に対して、(ぉ は相手の発言に対して使われる傾向が多いが、共通した意味はこれで間違いないだろう)
「何を言っているんだ?」「おいおい」といった、比較的客観的な視点で自らの発言を否定するのである。
そして、ここで第一のキモさ、サムさを見出す事が出来る。
世の中の会話において、自分の意見を即座に自ら否定する人間に生理的嫌悪を覚えるのは当然ではないだろうか。
では、最初から言わなければ良いではないかとなってしまうのである。
しかし、文学にしろ日常的な会話であるにしろ「自ら発言して否定した=その発言はなかったことになる」ということにはならない。
否定したとしても、その発言自体が消滅する訳ではないのである。
よって、書き手としては「そう書いた必然を読み取ってほしい」というメッセージを送ってきているという解釈を願っているわけであり、キモいサムい言っても、それにはメッセージ性故に一概に「無い方がマシ」とはならないのである。
そこで、次の視点が重要となってくる。


以下、次回。