気まぐれblogへのコメントですよ。

未見の方はhttp://www.doblog.com/weblog/myblog/25736?YEAR=2004&MONTH=12&DAY=26を御覧になってからどうぞ。


とりあえず題名を見て感じたことをば。Tacky氏が言いたい事というのはきっとこういうことだと思いますというのからまずは。
格好良くなりたいというのは格好悪くなりたくないと同義ではなく、その逆もまた然りです。
格好良くても格好悪さが併在する人間もありますし、格好悪くなかったとしてもそれが格好良いわけではないのです。
これは案外多くの事に応用が利くことで、それはその言葉が多指向性を持つからという性質が原因なのです。勉強が出来ても馬鹿だったりすると、秀才馬鹿になるのですし、運動が出来て歌が下手だと運動音痴になります。ハイ、ここ笑うところですよ。(不必要に無表情で)

さて、方向音痴とそうではない人を10人づつ集めて初めて見た町を一通り歩かせてその場に何があるかどうかを観察させ、集合場所に個々で帰ってこさせるという実験をした学者が居ます。確か学者ですがテレビ番組だったかもしれません。または脳内で見た妄想かもしれませんがまぁそれはそれで。
で、結論から言うと方向音痴な人は「ここに車が止まっていた」とか「ここに人だかりが出来ていた」というように流動性の高いものばかりを記憶する傾向があったそうです。逆に方向感覚に優れているとされている人は、建物であったり電柱であったりという流動性の低いものを場所記憶の目印として使用していたと。

ですから、場所記憶の集合体である地図は流動性の低いものばかりの情報を提供しているわけですね。
地図にある「東京都渋谷区渋谷2-15-1 」は渋谷クロスタワーであってその玄関口にいるオペレーターが非常に不細工という表記にはなっていないのです。
当然と思われがちですが、方向音痴な人は地図で書かれているものが場所記憶に不可欠であると分からずにナンセンスなものばかりを記憶していたという事実があるのですからこれは非常に興味深いことです。

さてさてさてさて、矢張り大学の出身学部で物事の考え方というものは随分と変わっていく物ですが、経済学部的なモノの探し方というものもしっかりと存在いたします。
茶店であれば「どの場所に喫茶店があれば効率的に営業を続けていくことができるか」ということを考えながら歩き回ります。
アマゾン奥地にスタバはありませんし、僕の脳内にドトールはありません。ゆったり遊ばせておく脳なんてないんです!ハイ、ここ笑うところですよ。(不必要に無表情で)
茶店と言っても色々ありますから、急ぎのサラリーマンが珈琲飲んでさぁ出勤だ! という場所にも喫茶店がありますしそれはゆったりするのには向いていません。ということは駅構内で尚かつ改札〜出口に存在する喫茶店は除外、といった感じですね。

さて、コメントが長くなったので自分のブログにこれを書いておきますね。
まぁ暇だったら見て下さい。