ぶっちゃけた愚痴。

創作意欲創作意欲って言いますが、私はこの言葉が大嫌いです。
何故なら、人は常に頭で創作しているのであり、創作するべきであるからだと信じているからです。
ですから、物を書かなかったり書けなかったりするときに創作意欲がないという言い訳をする人間は好きになれません。
例え好きな人間であったとしても、その時にちょっとしたヒキを自分の中で感じます。
「何この人、キモい」と結構ガチで思います。
これは多分どれだけ偉い作家に対してでも同じ感想を得るだろうと思っております。
しかし、私も「皆で言うところの創作意欲」がなくなることがあります。
ですが、私はこの場合、決して自分を気持ち悪いと思いません。
何故なら、自分は創作する意欲ではなく、出力する意欲がなくなっているだけだからです。
頭の中では(美醜優劣多々ありますが)日に1つくらいはシナリオや気の利いた台詞、言い回しくらいは創作しています。
それは誰しもが持つはずの性質であり能力ではないでしょうか。
ですから、それをただ出力しないだけであって、実際には頭の中で1つの小説や詩、フレーズを創作している事に変わりはないのです。

要約すると、言葉っつーもんは言い方次第でどんなもんにも化けますよって話です。
(本当は、創作意欲がわかないっつー理由で書かないのを、イチイチ言い訳にするなと言いたいのです。
 構想を練っているときはそれが既に創作意欲を湧かして居る時なのですから、黙ってろって事です。
 ですが、その話を納得できるように書くのは難しいし面倒なので排泄には向かない内容なので放置)

例えば、モノゴッツク紳士に謝っているタクシードライバー(人様の子供を自分のミスではねて怪我させた)が居たとします。
示談する場面になったとして、自分にとって苦しすぎる示談内容になると、家庭が如何に苦しいかを涙ながらに語ったとしましょう。
免許が駄目になると家族が食っていけなくなる。
それは祖父が癌で、入院費を払わなくてはいけないからである。
だが、それでも子供たちのために少しだけ無理をして御金を貯めようと頑張ったがその矢先にこの事故だった。
養育費だけでももう支払う目処が立たなくなってしまう。
それを言葉巧みにレパートリーを多くして、後は誠心誠意謝ったとしましょう。

それで、示談交渉の末、告訴しないとの約束をした上で最低限の治療費だけの請求で済ませようという事になりました。
そこでドライバーは何度も何度も感謝し、涙を流し、恩を忘れないと言いながら誓約書を書いてくれるよう頼みます。
もしこれから心変わりなさったらと思うと、今にも気が狂いそうなんですとでも言うのでしょう。
両親は誓約書を作成してドライバーに渡し、頑張るように励ました。
帰り際、誓約書を受け取って土下座でもして、その日は終わりです。

その帰り道で「ギヒヒヒヒヒヒヒ」と異常な声で嗤うタクシードライバーは実はこんな人物だったのです。
家族が貧窮しているのは自分の放蕩が原因だった。
家族が食えなくなっても一向に気にしていないが、自分の金がなくなるのは嫌だ。
無理をしたのではなく、ただの居眠り運転だった。
親が癌などというのは全くの嘘。

とまぁ、こんな按配なのです。言葉や感情の力という物は。
この示談においてはタクシーダライバーが完全に勝って、示談した親が完全に負けでしょう。

経済学的に言うところの「契約交渉力の強弱」がこれほどまでにはっきりしているのに、タクシードライバーは何故勝ちに持ち込めたのでしょうか?

これは裁判でいう心象と同じ現象が作用しています。心理学的手法でもあるのでしょうか。
言葉と感情をフルに活かした自己防衛技術です。
経済学でも、そろそろモチベーション以外にも感情を中心にした契約経済学を推し進めるべきだなぁと思った夏の夜更けでした。

要するに言いたい事は、言葉っつーもんは言い方や言うテンション次第でどんなもんにも化けますよって話です。
さっきとほとんど変わってない結論ですが眠いのでコレにて。