我輩は粘る液を滴らせ

我輩はヤマイモである。名前は自然薯粘輔だ。
親株様が「良く粘る美味しいイモになれ」という願いを込めて付けてくれたそうだ。
我輩はこってりと砂糖酒醤油で煮られ、今まさに食われようとしている。
嗚呼、ついにこの瞬間がやってきたのだな。
イモとしての、親株様からの悲願が、終に達成されようとしているのだな。
親株様は我輩が掘り返されたときも地中に埋まったままだった。
「立派な、立派な煮っ転がしになるんじゃぞ!」と、親株様は涙乍らに叫んだのだった。
そう思うと不覚にも、我輩の目から涙がこぼれそうになった。
しかし、涙ではなくて煮汁だった。ちょっと甘さがしつこい煮汁だった。

粘輔という名に違わぬ、しっかりと口の中で粘る良いイモになったと自覚している。
そのための努力も惜しまなかった。
ここで語るのも憚られるような苦行もこなした。
敢えて1つ例に出すのなら……いやいや、それは決して言えない。
頑固さにも粘り気があるのが良いイモであると思ってここは引き下がって欲しい。
我輩は良いイモなのだから。

さて、煮っ転がされたイモは我輩だけではない。
他にも玉石混合のイモたちが、自分がより美味く見えるために一生懸命転がった。
煮汁を絡ませ、良く沁みたイモになろうと頑張っていた。
我輩も例に漏れず、これでもか、これでもかと転がった。
中には柔らかすぎたために崩れ、他のイモとくっついてしまった者もいた。
無理をしなければ、筋の無く柔らかい煮っ転がしとして美味く喰われただろうに。
そう思うと、敵ながらに憐憫の気持ちで一杯になった。
見るからに堅そうな田舎イモどもは、表面だけでも美味くなろうとその破片をくっ付けようと躍起になっていた。
それから、柔らかいイモを崩して美味くなろうと暴れ出す堅イモ軍団と我輩たちの戦いが繰り広げられ、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
我輩は多少崩れたがどうにか生き残り、堅イモ軍団は一回りもふた回りも大きくなり、転がりすぎてしょっぱそうであった。
イモの子を洗うよう、とはよく言ったもので、鍋の中は正にイモ洗い状態。
だって我輩イモだもの。

さて、その後は彩りを加えられて皿に盛り付けられ、食卓を飾る副菜となった。
箸が行き交い、ついに我輩も食べられる運びとなった。
我輩に箸をつけてくれたのは、一家の大黒柱である御父上であった。
イモに生まれたるもの、家長に食われずして本懐を達したとは言えない。
そして、口を空けた御父上の中、舌で転がされ、噛み砕かれ――吐き出された。

「何これ、山芋じゃない」
「ああ、お昼に蕎麦食べたときに少しおろさなかった奴があったから、一緒に入れちゃった」
「なんだ、妙な味がしたからビックリして吐いちゃったよ」
「御免なさいね、でも、他の里芋も一杯あるから沢山食べてね」
「母さんは料理が上手だからな、そうやって再利用するのも巧いよな、美恵?」
「うん、お母さんサトイモさん美味しい!」
「そう、良かった。一杯食べてね」

我輩は皿で唾液塗れになって晒されたまま、そのまま思考するのを止めた。
末は鼠の食い物か、コンポスト行きか黴の苗床。
辞世の句はこんな感じだった。
我輩はヤマイモである。名前は寿限無粘輔だ。
せめて、我輩の殆どが蕎麦の薬味として、美味しく粘って喰われた事を望もう。
そう、我輩はほんの一部、捨てられるところをお母様の慈悲で煮物にもなる夢を見させてもらった、幸せ者のイモの欠片なのである。
結果としてお父様の唾液に塗れて捨てられるという次第になったが、これも致し方あるまい。

辞世の句の季語が黴だけというのもアレだと思うが、我輩は思考するのを止めた。
全然三十一文字じゃないとか、そんな事を考える前に思考を止めた。