料理について。

今日で家事をやらなくてはいけないという苦行から解放される事となった。
親が旅行から今日帰ってくるのだから、当然家事は通常と同じく母が行う事となる。
蕎麦を茹でたり飯を炒めたり野菜を茹でたり魚を焼いたり飯を炊いたり出汁を取ったり味付けしたりするのも当分はしないですむだろう。
そう思うと心が軽くなると同時に矢張り、多少寂しくもあるものだ。
何といっても、料理をすることは非常に楽しい事だ。
それを食べてもらえることも美味しいと言われることも喜ばしい。
片付けは面倒だが、それでもそれが終わったあとの「御疲れ様」は、達成を感じさせる。
しかし、美味しい物を作るというのはなかなか難しい。
今日は何を作ろうか、どうすれば皆の好みに合うだろうか、栄養は偏っていないだろうか。
味付けの好みは千差万別だし、親のものを食べなれているとなれば自分の味付けに差異を感じるのは当然のことと言える。
ましてや、弟が感じた違いはそれよりも大きいだろう。
しかし、普段は偏食家(肉を好まない・小食・甘い物大好き・自分の舌に合わなかったら残す)の彼が私の料理に文句をつけずに食べてくれた事に、今更ながら感謝しなければと思う。
きっと中には我慢して食べたものもあるだろう。それでも残さずに食べてくれた。
そして、その彼に美味しかったと言われたときの嬉しさといったら、ひとしおであったのは言うまでも無いだろう。

この気持ちとこの苦労を毎日繰り返している母に感謝と、ほんの少しの羨ましさを感じつつ、今日は寝てしまおうと思う。
親が帰ってくるのは深夜になるだろう。
そして私が目を覚ませば、普段どおり、母の作った料理を普段どおりに食べる事となるのだ。
家事の苦労と喜びは、今日の眠りで忘れてしまおう。
今度また家に親が居なくなったとき、または私が独り立ちするときになって、またこの気持ちを味わえるように。