記後感最悪な。

ずっと昔、幼稚園から小学校の間のクラスメイトだった「とある彼」が難関である公認会計士の試験を突破したそうだ。
幼稚園時代は辛うじて友人と呼べるような関係であったものの、小学生時代には派閥などがあったため特に明確な接点を持たぬまま卒業を迎え、中学校からは彼は私立、私は区立に進学し、彼とは疎遠になった。
互いに近所付き合いできる距離に住んではいたものの、特にその必要性を感じないまま、友人から知り合いへ、知り合いから他人へと変貌する関係の中、ついに彼は他人の口から出る噂以外に存在を感じることの無い「誰か」になっていった。


彼は昔から優秀で、本当に何でも高度にこなした。
彼は持ち前の性格上、責任のある仕事を好まず、また周囲もそれに適していない事を知っていたため推すこともしなかったが、それを差し引いても過分の才能を有していた。
だから、中学校から名門私立に進学することは容易に想像がついたし、それが故により疎遠になることも当然の事と考えていた。


そして、ほぼ完全に他人と化した彼が、大学の講座への出席も程々に公認会計士の資格を得るため予備校に通っているという話を人伝に聞いた。
その頃は全く興味を持たなかったものの、個人的にそのような考えが嫌いだったので何となく記憶に残っていた。
大学を高校アガリであるコネでなんとかするという態度が卑怯然として嫌だったのだ。
友人から得たプリントや過去問で単位を得るなんて方法で大学卒業の資格を得る。
そして空いた労力を専門学校で使い資格を得、安泰した生活を送る。
それが社会における勝ち組であるとしたら、それは愚かな事だ。
これが如何に青臭い意見であろうとも、そして無駄なものであろうともそこは譲れない。
大学というものの存在と意義を理解しているのであれば、その様な行動は考えられないからだ。


しかし、就職活動を目前とした頃に、私が聞いた「ほぼ他人となりつつある彼に関する一報」は、目の前にずんと圧し掛かってきた。
結果的に彼は公認会計士という高難度の資格を留まることなく一度の試験で取得し、前途洋々とした大学生活を送ることになった。
今後の一生もその勢いにのったものになるだろう。

今こそ、私は意志を固めるべきだ。
誰にも影響されず、私自らの生き方を定め、覚悟する時期が来たのだ。
ここでその決意を鈍らせれば、一生を不意なものとしてしまう気すらする。
そう、他の全てが全て失敗に終わろうとも、自身の芯となるモノを体の中に形成する。
そうしなければ、私は大学でしてきたことを全て無駄にしてしまう気がする。
自分が培った”スタイル”を、殺してしまう。
彼が勉学に励んでいる間、私が大学で得た物事を考える上で必要なものが今ここで完全に固定されなければ、彼が得た資格の前に私は屈してしまうことになるのだ。
私にとっての大学生活は既に終わりを迎えようとしている。
今、ここで彼が得なかったものを確実にものに出来なければ、私には何の影響もしないはずの彼に敗北を感じてしまう。
即ち、自分の中にある彼の残影に。
即ち、自分に。


本当は祝福の言葉のみに留めておこうと思ったのだが、どうしても自分に発破をかける材料にしたかったので書いておく。
頑張れ自分。
あと、ぶっちゃけ想像を絶する苦悶の二束草鞋プレイで現役合格した君を素直に尊敬。
君に幸あれ。
あと、その数十倍くらい自分に幸あれ。