毒吐き収め大会2004

本当に今日こそは言いたい事を言わせて戴く。
元々私は言いたい放題じゃないかという諸兄の意見は甚だ尤もな事であるがそれは違う。
私はアレでまだ歯に絹着せて話しているつもりであるのだ。
そんなまさかと思うかもしれないが、そう思うのであれば否定の証拠に以下を読んで貰いたい。
自分で言うのもアレだが、かなりの差別用語を含んでおり劣悪・辛辣であると自認している。
しかし、これが今の正直な気持ちである事に間違えは無い。


事前注意
前もって言っておくが、ここで固有名詞を出さないのはプライバシーの保護でもなく個人名を出す事で生じるリスクを回避したいためでもない。
理由はただひとつ、彼(等)の名前を正確に覚えていないからだ。
1年経ってもまだゼミ同期生の名前を把握してない理由は複数あるが、最初は「この面子とは趣味合わなさそうだな」と思っていた面子の正体が徐々に理解でき始め、それが名前を覚えるにも値しない低能であったから、こちらから憶える気力もなくなったのである。
はっきり言って個人名が分かるのなら、今の怒りを紛らわすためにもネットで個人情報を曝け出してやりたい気持ちである事は是非知って戴きたい。
逆に言えば、個人名を私に知られているゼミ生はそれでこの話題に登場する、蔑まされている人物には当確しないことを意味する。
また、ここで「自分のことを棚にあげて」という反論は一切受け付けない。
私は自身が低能であることを意識しているしスペックもある程度把握しているつもりでいる。
しかし、この文中における如何なる差別用語は「私と比較して」という相対的な意味を含んでいることを頭にいれて欲しい。
そう、彼らはこの低能たる私よりも更に低能なのである。



今日はゼミの個人発表を行った。それが事の発端である。
以前に行ったグループ発表を基本とした、もっと専門的で突っ込んだ事象の分析し、自論の披露すると言ったものであった。
私はグループ発表にて独立行政法人の概要を説明し、その上で個人発表にて国立大学法人に絞った”政治に則した”発表を行った。
概ね自分でも満足できる出来であったものの、何時も通りの「N教授の遅刻+出欠確認や準備などで時間浪費」で発表の開始時間は遅れていた。
そこで、N教授は「一人当たりの発表時間を短くしようか」と言い出した。寝耳に水である。
ゼミの予定表では15分を予定してあったので年末故の多忙である中しっかりとパワーポイントを作成し、ある程度の質疑応答にも耐えられる知識を頭に組み込んでおいたのだ。
準備万端に近い状態であるにも関わらず、というよりもそうであるが故に努力したところで15分より早くプレゼンを終わらせるのは難しい。
そこで、出来る限り縮めてみますとは言ったもののしっかり15分使って発表を終える事とした。
結果的にも声量、ペース、専門的な知識の噛み砕き方も自己満足するには足りるものであり、達成感と共に発表を終えた。
教授の受けも悪くなかったようで何度か質問をされ(興味が無い発表の場合は考えた末、無難な質問を1つだけする教授である)、次にゼミ生から質問が無いか席を見渡した。


すると、腕時計を見ながら明らかにイライラしている動きで隣席のゼミ生と小声で喋っている一団が居るではないか。
もう、これ見よがしに「お前の発表は長いんだよ」と言わんばかりである。
この一団は個体差もあるが、大体のおいて低能である人間によって構成されているグループだ。
脳味噌が片輪であるのか知らないが、何時も最低限の努力で済まし、どのようにサボれるかしかを考えておらず、最低限の結果すら残せないため教官に不満を言われたり質問を投げかけられたりしてもケツの穴を引き締め誠心誠意答えなどせず、申し訳なさそうに分からない旨を伝えるどころか白痴のようにヘラヘラと笑うのである。
これではまるで「私は白痴であるから答えられませんよ」と言っているようなものだ。昔から白痴美という、頭が弱が故の美人は存在した。だが、残念というか彼等は全員男であり更に醜男であるので救いようもない。ただひたすらにニヤニヤと白痴の笑みで押し切るのみである。
ここで一言いわせていただきたいのであるが、
「オマエラ全員の発表内容を煮詰めて15分に濃縮しても私1人のプレゼンにも劣る」
という事である。
グループ発表で他の誰かが作ってくれたアウトラインをキチの様に個人発表で何度も何度も繰り返し(年金グループに寄生したそのグループの構成員一部は全員がほぼ同じ冒頭で発表した。被ったから変更しようとする意志さえあればいくらでも変更する時間があるにも関わらず、だ)教授が流石に辟易として注意すると、如何にも教授がおかしいと言わんばかりに例の白痴笑いにへらにへらである。トルエン中毒でももう少しマシな笑い方をする。
そんな彼らに無駄な時間を過ごしたと陰口のようにネチネチと例の白痴笑いを浮かべながら罵られるのなら、それこそ、全くの無駄にしかならなかったオマエラのプレゼンで消費した時間を丸々返してくれと言いたい。客観的に見てどちらが有意義なプレゼンをしたのか、どちらが時間を無駄に消費したのかを考えてみて欲しい。有意義な20分と無駄な10分、どちらが空虚で無為な過去となる。精々ネットで検索してコピペしただけの原稿を持って、また、ネットからプリントアウトしただけのレジュメを一枚配ってボソボソヘラヘラ喋ってそれで終わりと言うオマエラと、パワーポイントを使い、参考文献をしっかりと書ける程度に文献を読み、ネットの利用は自制して公共のホームページのみを見るだけにし、自身の考えがメディアに汚染されない事を留意して自分なりの意見をまとめた私と、どちらが人としてまともな意識を持っている。



確かに、ゼミで緊張感の生み出せないN教授も悪い。
何せ、ゼミを選択する上で周囲の「Nゼミ衆評」は出席さえすれば単位をくれるゼミというものであったのだから驚く。
まぁその真実は評価される年度末まで分からないのであるが、その風評を聞いて集まった人間があのグループの構成員の殆どなのである。
私自身は第一志望のゼミを落としてしまい(結果的には良かったのではあるが)、以前講座で鞭撻戴いたN教授の人柄と教える巧さであるのなら問題なかろうと二次募集に応募したのであるが、それは結果的にゴミ溜めに飛び込むようなものであった。
本当に良く表現するのならば合理的経済人的発想、悪く言えば単位という餌があればあとは何もしなくて良いと考える家畜と同等の価値観しか持てない底辺意識丸出しの”単位乞食”ばかりである受講生が集合した我がNゼミは、噂に違わぬ低い体温のまま時ばかりが過ぎ、団結心もリーダーシップもないまま文字通りヌルいゼミでしかなかった。
前期ではほぼ一方的な授業だけ(内容自体は一生を左右するほど、私の価値観に影響を与えたものなのだが)であり、低能で意識が低い者達は何も吸収せずに過ごしたに違いない。後期になるといきなりプレゼンやレポートの嵐となるのであるが、前期をほぼ脳味噌を魯鈍に動かすのみだった彼らにそれらを処理する能力は皆無であった。大体、それまでの人生もそうやって豚のように肩書きだけのキャリアを得るためだけに生きていた連中なのだろう。後は精々部活(=青春)で費やすことで自身を正当化・美化するのに勤しんだだけに違いないのだ。酔生夢死とはこの事というのに相応しい覇気の無さであり、夢遊病で偶々ここに迷い込んだのではないかと言うほどの無気力である。
授業が平坦であったため、また、その方法も本を読んで説明するだけであったのは結果的に生徒の怠慢を慢性化することとなったのだ。
N教授が出来ることは、今更だが出席さえすれば全員S(=優)評価とするのではなく、しっかりとプレゼンやレポートの出来で評価をし、全部出席だろうとF(=不可)を出すことで生徒の引き締めをすることしかない。
少なくとも、今年度の評価が低能軍団と等しかったらもう一生N教授を恩師と思うこともないだろう。


私はどんな評価でも良い。だから、彼らを私よりも低い評価にして欲しい。
そうでなければ、私が今まで努力したものが彼らのクソの足しにもならない処世術に負けた事になってしまうのだ。
それだけは、どうしても避けたい。