死に。

死

とても眠りたいのに、何かの拍子に時間が経過してしまって、その所為で眠気が失せてしまう事ってありませんか? 今晩和、麝香です。
眠りたいという欲求だけが残っているので非常に不快で苛ついており、仕方なく日記でも書いて気を静めようと画策中というわけです。


*人様の日記に勝手な私感を入れるコーナー
人に気づかれずひっそり死んで、あっという間に記憶からも消え去ってしまう。そんな、優しい死に方ができたら。ちょっと考えてみただけ。(参照URL:http://www.doblog.com/weblog/myblog/25736?YEAR=2005&MONTH=5&DAY=16
またしてもTacky氏のブログから拝借しているのですが決して彼のストーカーとかそう言う訳じゃなくてその……あ、ザイーガ面白いよネ!

今回は別に討論とか意見の交換とかではなく、ただこの一文に啓発されて「自分じゃったらどう死にたいかのう」とダダ漏れた考えを書きましょうかね、というスタンスでやると思いますというかやる。
死ぬっていうことを漠然と考えていると、若いうちに死ぬことは今のところなさそうなので(何この健全なヒビキ!)(数年前は30前に死にそうな酒煙草やってたんで驚き)矢張り老いてから死ぬことを考えてしまうわけです。自分のパーソナリティを含めて鑑みると自殺は有りえないほど人生が楽しいと思えている人間なのでどうやっても不慮の事故以外で早死にする要因がない。けどまぁ昔考えていた理想の死とやらは思い出せるのでそれをまず挙げていこうと思います。昔は結構本気で二十代死を想定した生き方をしていたものなのです。
絶対死ぬのは独り。誰も視線に入れたくない。場所は拘らないけど臭くない場所が良い。排気ガスや薬品臭、青臭さは好きだから、ゴミ臭いとかトイレ臭いとかアンモニア系の匂いがしないところなら何処でも。メタン系は可。言い換えると動物臭くないところ。そういう意味でも人が多いところは嫌。これでもかって酒と煙草を入手してから死に場所へ。ドラッグを手に入れる事が可能ならそれも含めて、それらを全部使い切るまでは死なないつもりで。逆に言うと、それが切れても余裕で生き残っていられるような量でも駄目で、ちょっと多いかも、くらいで○。食べ物は一切持たない。他は水のみ。死ぬまでの間、自身の衛生には気を遣う。自身から動物臭がしている時には絶対死にたくない。排泄物なども処理できる環境が望ましい。室内でも外でも、まずは外部との連絡を遮断するところから開始する。あとは物理的にも一切の「生き延びる可能性」を遮断する。扉をバーナーとかで溶接するくらいの根性で遮断。そう考えるとロックが厳重なワンルームマンションに近い建造物が良いかもしれない。出来ればずっと暗いと良い。何処に何があるか分かる程度の薄暗さ。絶対に暇だと思わないでいられるように音楽かなにかを常時流しておく。騒々しい場所で死にたくは無いけれど、死ぬ直前までは普通に楽しみたい。小説やコミックなんかも適量。絶対に遺書などは書き残さない。そのために使えそうなものは一切持ち込まない。電力と水道は最低でも供給されている環境。出来れば餓死か酒煙草ドラッグによる死が望ましいが、最終手段として即死する毒薬を数錠。即死じゃなくてもよいけれどそれで死ねないと持っていく意味がない。自分の死体は放置。その後の事には全く興味なし。発見されてもされなくても何でも。
とまぁこんなもんでした。
でした、というのは当然、今の自分が持つ考えとは全く違ったものでしてハイ。

死ぬ時は独り、なんて言うのが格好良いと思えるのはきっと若い今だからなんだろうなぁと思っておりますし、矢張り、しっかりと友人知人にあって「死んでも俺の事忘れるなよ!」と喚き散らし幾日も幾日も遊び「もう俺の構成するネットワークで会いたい奴はいねぇ」ってぜえぜえ息するくらいになってから死にたい。突如死ぬよりは、しっかりと法的にも人的にも前準備してそれが終わったら死体さえ棺桶にいれてスイッチを押せばテープか何かで御経が流れてある程度経ったら棺がロケット発射により火葬場へ出棺。そのまま全自動で焼けて骨になってそのままコンポストに直行。そのくらいの周到さで発つ鳥跡を濁さず的な死去後始末を行いたい。快楽主義者の僕としましては死ぬまでにこの世にある全てのドラッグに手を出して良さを知ってから死にたいわけですがこの法治国家というか画一法治世界になろうとしているこの地球でそんな無法は出来なさそうなので精々酒煙草とそれに類するちょっとしたアンフェタミンとかを堪能してから死にたいですね。それも適度に。美味しい御飯とか可愛い孫とかに囲まれてシャブ打つくらいなテンションで。往生する直前まで布団には溢れんばかりの人が居て、どいつもこいつも死ぬ前に話しておきたいと必死に喋るからもう死ぬタイミングがないくらいあたふたして、死んだら「えー! まだ俺喋ってねー!」って言われるような感じが良い。そしてその場で血抜きとかその他諸々処理して美味しくなった僕の屍肉で焼肉PT。別に調理法は何でも良いけど、まぁ食って戴く。残った骨とかは前述した棺に入れてゴミ処理してもらえばありがたい。
とまぁこんなもんになっております。
死んでも俺の事忘れるなよっていうのはその人の心の中で生きる、なんて思想は毛頭無くて、死なれる側としても「忘れて良いよ」とか言われたらテンション下がるだろうし、そう言われて嬉しいと思う奴には会いにいくつもりもないのでその言葉自体がそいつと遊ぶブースター的役割になるのです。「よっしゃ思い出としてじっくり”呑もうぜ”語ろうぜ”遊ぼうぜ”!」ってね。
人に喰われる事でその人の身体の中で生きる、なんて思想は毛頭無くて、自分の肉が咀嚼されている感触を想像するだけで「ああ、自分の最後の最後までしっかり役にたってるなぁ」という感慨が湧くからであります。煙か土か食い物になるのであれば、1番人間に早く利用される食い物になりたいのです。煙は嫌だ。万物の邪魔にしかならん。土も何だかその他大勢の仲間入りみたいで嫌。やっぱその食事会の後、皆のブログで「麝香の肉食ったけどマジ人肉(゜Д゜)ウマー」とかやってもらいたい。そしてまぁあとは成るべくして排泄されていくのだけれどそれは仕方ない。


結局、騒がしく死にたいということですかね。




なんて書いていると遂に眠りたいという欲求すらなくなってきた(こんなん書いてたら書いてるうちに興奮もするってもんです)のでどうしようか画策中です。ハンゲでフリー打ちするかエミュで何かやってます。苛つきも何となくなくなってきました。




自分の死ぬことって、考えるだけでストレス解消にヨロシクテヨ。