示唆。

昔、幼稚園に通い出して2年くらい経ったときかな。プランクトンは空気中に居るっていう話をどこかで聞いたんだ。多分NHK教育とかだと思うんだけど。覚えているのはそこだけだから、具体的にどの番組とかまでは言えないんだけど、まぁそこら辺だと思う。
で、プランクトンっていうのはすげーちっちゃいって言うじゃない? その時の俺ってやっぱり小さかったから、考えが幼稚だったんだよ。
目を細めれば見えるんじゃないかってね。
で、そうしたらそれらしいものが見えちゃったわけ。空を見ながら目を細めたら、なんかもやもやしてんのが。もう俺嬉しくてさ。友達みんなに話したんだよ。そうしたら、友達の中にも見えるって驚いてる奴が居てさ。みんなでプランクトンを見る遊びが流行ったの。今思い出すと、あれはちょっと異様な風景だったね。みんなで空をしかめっ面で睨んでるんだから。
だけどさ、先生が何か方針なのか性格なのか知らないけど、俺の言う事を凄く否定するんだよ。「プランクトンなんて見えません!」とか言いながら凄く怒るの。
俺、当時その先生好きだったんだけど、一気に醒めたのを覚えてるんだ。幼心に「あんたはガキの躾の専門家であって、理科の専門家じゃないんだよ」って思ったわけさ。
当時の俺にとって、プランクトンも理科もNHK教育チャンネルで仕入れた最新ワードだったからさ。俺にとって未知への光だったわけ。凄い興味と希望に満ちた、最強の真理だった訳さ。鳥はどうやってあんなに浮いてられるかとか、鳥は飛ぶもの、じゃなくて、鳥は飛ぶように出来ているから飛べるんだ、っていう物を見る視点の変化。同じものでも、それを留意してから初めて目にしたときの感動って違うんだよ、それが理科の楽しみだと思うんだ。
なのに、その先生は根拠も言わずに「プランクトンなんて見えません!」の一点張りでさ。俺は結局嘘吐きだとか阿呆だとかそんなレッテル貼られて終わり。同意してたガキどもも無理矢理洗脳みたいにさせられたとかなんとか、そんな結論にされちゃっててさ。

俺が感動したのは、プランクトンが見えるってことじゃなくて、人間の目ってプランクトンが見える構造なんだっていう発見だったのにさ。で、何で目を細ないと見えないんだろうとか、何で近いものを見ているときには見えないんだろうとか、そういうことだったのにさ。それって、科学的思考の広がりを感じさせる、人の成長を感じさせるワクワクだろ?
でも、俺はもう目を細めて空を見る度に先生に目の仇にされて怒られて、何時しかもうプランクトンを見る遊びは止めたんだ。もうすっかり嫌気がさしてさ。

俺はあんたに「みんなでおうた歌いましょ」とかそういう団体行動とか規律に縛られても何とかムズがらないようには躾てくれて感謝はしている。けれど、頭ごなしに怒ったあの事件以来、俺は科学的な興味とか楽しみとか一切失っちまって、しっかり「理系になれないから文系」学生になった俺は今でも醒めた目で顔も思い出せないあんたを見ているよ。


で、俺は何を言いたいかというと、つい最近その事件を思い出して色々と調べてみたんだ。
そうしたら、結論は飛蚊症ということで決着がついた。飛蚊症っていうのは調べてもらえばすぐ分かると思うんだけど、ガキの頃によくあるらしくて。みんなでプランクトン見えてたってのもまぁ頷けるよな。


唯一問題があるとしたら、俺にはまだ時折見えているってことくらいかな。プランクトンみたいなアレがさ。うじゃうじゃと。